悲しみは分け合えば半分の意味。

 

「喜びを分け合って幸せな気持ちを共有することは望ましいけれど、不快な気持ちは共有されても困る。」

 

以前付き合っていたひとにそう言われた。

 

あの時は、私も甘えすぎたかもしれない。

 

パートナーに、ちょっとしたストレスを話して「うん、うん」と聞いてもらい「大変だったね」と理解してもらえればそれで大満足だったのだけれど、彼はそうしてはくれなかった。「どうしてそんなこと話すの?」という反応が返ってきた。

口にはしないが、大人気なくも少しムッとしてしまった私に、彼が罪悪感を感じることはなさそうだった。

確かそのあとで私は「喜びは分け合えば2倍、悲しみは分け合えば半分になる」とよく言うじゃない、という話をしたんだと思う。

彼はいかにも解せないといった顔をした。

私はもう理解してもらえなくても良いやと思ったが、彼は真っ向から反論を述べてきた。

 

「嫌なことがあったことを話されても、聞かされた方の気分が悪くなるだけだ。どうして分け合えば半分になるのかわからない。」

 

私は唖然とした。

しかし、反論することができなかった。

 

彼は自分では悲しいことがあったとき真っ先に私に電話をかけてきて、私がひととおり話を聞いたらすっきりしたように、私の声は癒されるとか聞いてくれてありがとうとかなんとか言ってきたくせに。私は頼ってくれて嬉しかったけれど、同じ悲しみを感じたわけだよ。でも嬉しさの方が勝ったと思う。まあそんな付き合いたての頃のことは彼も忘れていたわけだ。

 

甘えたかった私は、ムッとした顔を元に戻せなかった。

 

その後、「悲しみは必要」というような話を聞いた。聖書からの言葉だった。もう別れてしまった彼とのその一件を思い出しながら興味深く聞いたところには、「ひとは悲しみがあるから生きていける」とのことだった。

ひとことでまとめると、ひとは「悲しみを共有することによって、希望を見出す」生き物なのだ。

 

じわあっと何かが胸に広がるのを感じた。

彼との論争など、もうとうに忘れても良いことだった。

 

悲しみに暮れるひとがいれば積極的に寄り添える人間になりたいと思う。そうすることで希望が生まれるなら。

今のこの気持ちを大切にしたい。

 

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以上小説家気取りのもうよんじょ(id:skworld)でした。

 

午後も気持ちよく過ごせますように!

アディオス!